圓重寺

圓重寺
圓重寺


案内杭
案内杭


説明看板
説明看板

圓重寺は北村山郡大石田の次年子(じねんご)地区にある真宗大谷派の寺院です。

圓重寺は谷地城主の白鳥十郎の家臣の青柳隼人の弟、
平林玄馬が開いたお寺です。

青柳隼人は白鳥十郎とともに山形城主の最上義光を見舞うため、
山形城に同行しました。
しかし、
主君の白鳥十郎は最上義光に山形城内で討ち取られてしまいます。
付き添った家臣もすべて殺されたといわれていますが、
村山市にある照覚寺には別の伝承が伝わっています。

白鳥十郎が山形で討ち取られた時、最上家の家臣、
延沢能登守が白鳥家の重臣、青柳隼人と槇清光に馬を準備し、
十郎の首を預けて山形城の裏門から逃した、
というものです。
その後、
二人は天童を通り、最上川を下り、
村山市大久保から山深い次年子地区に逃れた、といわれています。

次年子は今では立派な道路が通り、
幾分交通も楽になりましたが、
それもで山をいくつか越えていかなければならない地区です。
当時はさらに険しい道だったのでしょう。
主君の首を、
最上軍の追手から守るため、
山奥の次年子に逃れたのではないでしょうか。

圓重寺の裏山に、縦2間(約3.6m)横4間(約7.2m)高3尺(約0.9m)の塚があり、
ここに白鳥十郎長久の首が埋葬されている、と伝えられています。
地元の方々はこの塚を「旦那首(だんなぐし)」とよんでいるそうです